女優の笛木優子さんが韓国で活躍していたことをご存知ですか?
韓流ドラマやCMに出演し、2003年にはSBSのニュースター賞を受賞するほどの活躍ぶりでした。
しかし2016年に突然、活動拠点を日本に移しました。
果たして笛木さんに何がったのでしょうか?
その理由と現在の活動についてご紹介します。
笛木優子さんはユミンの名で韓ドラで活動
笛木優子さんは2000年に日本でドラマデビューし、2001年11月に韓国に移住し、韓国で芸能活動を始めました。
渡韓のきっかけは「韓国ドラマにハマったから」と至ってシンプルなものでした。
短期の語学留学で韓国に行ったつもりが、韓国のテレビドラマ『わが家』に出演することが決定。
韓国では유민(ユミン)という芸名で活動を開始しました。
2006年に活動の拠点を日本に戻しましたが、2009年に韓国の大作ドラマ「IRIS」への出演が決定!
その後は韓国での活動を継続的に行っていく姿勢を明らかにしていました。
しかし順風満帆と思われていた韓国での活動を2016年終了し、活動拠点を日本に戻しています。
2001年から2016年の間で、韓国と日本を行ったり来たりしてたんだ!
笛木優子が帰国した2つの理由
笛木さんが韓国を離れ日本に活動拠点を移した理由を、上記のインタビューで答えています。
- マネージャーとの金銭トラブル
- 過酷な韓国での生活
「これ以上ここに居たら大好きな韓国が嫌いになってしまう」との思いで、日本に帰ることを決意したそうです。
当時韓国でドラマやCMに出演し、実力も人気もあった笛木さんに何があったのか…
詳しく見て行きましょう!
マネージャーとの金銭トラブル
韓国で女優として活躍していた笛木優子さんでしたが、マネージャーとの間に金銭トラブルがありました。
このことが日本への帰国する1番の決め手となったようです。
当時のマネージャーがお金にいい加減で、日本の事務所にお金を送金しなかったことが度々あったのだとか。
笛木優子さんだけでなく、韓国で活動されていた大谷亮平さんも韓国の事務所と金銭トラブルがあったことを告白しています。
給料のピンハネなどの金銭トラブルは、韓国芸能界あるあるなのでしょうか。。
やはり生活がかかっていますし、お金関係のトラブルは韓国を離れる決定的な一打になったようです。
過酷だった韓国での極貧生活
大きな会社と聞いて入った事務所が3ヶ月で倒産。
給料は月給制で、26歳まで月給10万円で仕事をしていたそうです!
そのため、1年間はラーメンとキンパを食べる生活をしていたとのことでした。
インタビューでは「お金のことは考えていなかったと思う」と話していますが…
生活がとてもキツかったことは容易に想像がつきますよね。
当時韓国でドラマやCMに出演し、実力も人気もあったにも関わらず、こんな苦労をされていたとは驚きです。
現在、笛木優子は日本で活動中
笛木さんは現在、オスカープロモーションに所属し、女優やナレーターとして活動しています。
韓国での女優生活では辛い経験をしまいしたが「韓国の方たちはとてもよくしてくれた。仕事自体と韓国の文化は本当に好きだった」と答えており、韓国語のスキルを活かした仕事もしていますよ。
最近ではNETFLIXの「韓国ドラマな恋がしたい」で、案内役ホストとして出演。
そこでは笛木さんの流暢な韓国語を聞くことができます!
拠点は日本に戻りましたが、今後も韓国語のスキルを活かした仕事で活躍するのではないでしょうか♪
まとめ
この記事では韓国で活躍していた笛木優子さんが、なぜ日本に活動拠点を移したのかをお伝えしました。
過酷な韓国での活動に疲弊し「嫌いになりたくない」という一心で日本に戻ってきたことを考えると、胸が痛いですね。
今後は女優としてだけでなく、日本と韓国の架け橋として活躍していくのではないでしょうか♪
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